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戦国武将も警戒した大地震の歴史


はじめに

 大地震は誰にとっても怖いものですし、出来れば来てほしくないものです。遥か昔に生きた人も地震に悩まされていたようです。今回は地震の歴史についてお話いたします。

 


一番古い大地震

 しっかりと記録が残っている大地震で一番古いものは684年に起きた「白鳳地震」です。この地震は日本書紀に記されており、マグニチュードは8.2であったと伝えられています。被害は東南海から南海域までに及び、津波で約12万㎢の田畑が被害に遭ったとのことです。この地震の前後にも大きな地震が頻発しており、日本は古代から地震大国であるということがうかがえます。

戦国時代の地震

 戦国時代に最も被害が大きかったと推測されるのが1498年の「明応地震」です。マグニチュードは8.2~8.5と言われ、純粋な淡水だった浜名湖が、太平洋と繋がる今切口の決壊によって海水が混じった湖になりました。

 その後1586年にマグニチュード7.8の「天正地震」が起き、琵琶湖の周辺にあった集落が崩落し消え去った際、豊臣秀吉が「琵琶湖のナマズのせい」と発言したことで「地震はナマズの仕業」という迷信が広まったと逸話もあります。

 1596年には「慶長伊予地震」「慶長豊後地震」「慶長伏見地震」、この3つの地震が立て続けに発生し、列島各地で甚大な被害をもたらしました。

江戸時代の地震

 江戸時代にはおよそ5年に一度のペースで大地震が発生していたと言われています。

 1707年にマグニチュード8.6の「宝永地震」が発生し、東海道から九州までの広範囲で津波の被害がありました。

 さらに翌年の1708年に富士山が噴火し、周辺地域に大量の火山灰が降り注ぎました。これを「宝永の大噴火」と言い、地震と合わせて多くの人が犠牲になりました。

 また、1854年に「安政地震」という大きな地震が発生しました。この地震は関東地方から近畿地方にわたり激しい揺れに見舞われた「安政東海地震」と次の日に四国で発生した「安政南海地震」を総称したもので、合わせて2千人から3千人ほどの死者が出ました。

近代の地震

 日本が近代に入って一番大きな地震と言えば1923年に発生した「関東大震災」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。震源地は相模湾北西部でマグニチュード7.9、死者・行方不明者は約10万5千人、建物の倒壊や焼失は約37万棟という大きな被害をもたらしました。発生した時間帯が昼食時ということもあり火を使っていた家庭も多かったことから火災による被害が特に大きく、死者の9割が焼死であったと伝えられています。

 また1944年にマグニチュード7.9の「東南海地震」、1946年にマグニチュード8.0の 「南海地震」が発生しました。

まとめ

 日本は地震大国というだけあり、遥か昔から地震に悩まされていました。そして現代になっても地震の脅威がなくなったわけではありません。日本に住んでいる以上地震対策は常に考え続ける必要があるということを頭に留めておきましょう。


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